「内觀」とは なにか?… 集中内觀を 一週間 體驗したとして、内觀とは こういふことだと 理解するのは、あまりにも行き過ぎるのではないかと思ふしかし、一週間の内觀體驗での感想を 述べるとするならば “内觀” とは文字そのとほり自身の心の内側を觀ることだといへる。
この世のことから離れ、神さまの前で自身の過去を告白するときは、先ず、自身を顧りみる姿勢と全くおなじではないかと(私がカトリックの信者でもあること)おもわれる。
内觀とは、佛敎の禪から由來したとされる。しかし、今から50余年前に吉本伊信先生 (1916~1988) が現代人の爲に 自身の内側を觀て自覺する修行法の一つとして開發されたことだと、今度の内觀研修において、はじめて分かったことである。
最近は内觀の體驗が自身の修養のほかにも、精神および心理療法として廣く利用されているようである。不安、焦燥、憂鬱、不眠、神經衰弱等、精神 心理的に健康でない人達、藥物中毒者、夫婦 または 姑婦間の葛藤、非行靑少年 犯罪行爲者が内觀の修練後、自覺とともに 新しい生活ができた人達が 多くなったといはれている。
私の 個人的な考えでは、大部分 社會的な犯罪、不安、混亂な對人關係で、傷ついているとか、家庭の不和、孤獨感、罪意識などが 無意識的に各自の心の一隅に屈折していると考えられる。この屈折が なにかと探して觀ればその解答がを得られるのではと思はれる。それで、内觀とは 自身を深く觀ることで 自覺とともに 新しい生活に發展していく、自身の修行療法のひとつではないかと言へる。
2. 私が初めて内觀に出合ったこと
午後5時頃 外には 夏のあらしが 急に ものすごく 降っていた。四方が眞つ暗らで陰鬱であつた。傘もなく、どうして 家に歸えるのかと一人言をいっていた。どういうわけか 心が鬱寂になり 孤獨感が襲ってきた。私はいま何をしているのか?何をすればいいのか?はたして、私は何なのか?年も多くなるし、なん年の後は停年退職もしなければならないし、このような 生活でおわるのか?それよりも 私は 神さまに、この世で なにをしてきたのかと 言ったらよいのか、このような雜念に捉われてしまい、たまらないほどつらくなった。そこで、いつも親しく會つてくれる 許瑾 神父(カトリックアルコ-ル司牧セン-タ)の所へ面談にいった。許瑾 神父は いつもと同じように あたたかく 私の話を聞いてくれたあと、私に 内觀案内書を いっさつ くれながら 一度 讀んでみればとの おはなしであった。
内容は、日本の “瞑想の森 内觀研修所”の紹介と内觀の體驗談(洪裕碩氏の飜譯)であった。
そこで、氣付いたのが、自分がいままでは 人生の先だけをみながら走ってきたようで、内觀によって、自分の過去を 一度 顧りみ、今後は どう生きていけばよいのか、また、價値のある生き方とは何なのか?事實、このような事に對して、いままで深く考えたことが一度もなかった。また、一日24時間中、化粧室に座わている時間の外にはなにかを考えてみる時間も別になかったようである。
自分も一度内觀をしてみよう、そう思ひながらも内觀の體驗申請をする前に、内觀研修所を一度訪問し、見學してみたいと思った。それで、會社に一週間の休暇をとり、日本産業カウンセリング協會の研究大會に參加した後、大阪のカトリック内觀瞑想の家と奈良の大和内觀修練所を訪問し、内觀の體驗が、はたして自分の一生にどのような變化が期待できるのか、まず、心の準備をしておきたかったなのです。勿論 朴璉鎬(カトリック大學敎授)と洪裕碩(大眞大學敎授)二人の同行と案内をお願いしての訪問であった。
カウンセリング研究大會の翌日の午前中、最初に カトリック内觀瞑想の家(マリア修道院)で、藤原神父を訪問することにした。
藤原神父は私達が訪問するとの連絡を受けていたので、わざわざ近くの賣布驛まで仰えにきて下さいました。また、藤原神父のとても謙遜な姿勢におどろき恐縮しました。藤原神父は 大阪敎區所屬の司祭で 敎會の司牧と、神學校の指導神父を歴任任したあと、約10年前から 内觀修練の擔當司祭として 各地域 の 聖職者、修道者、および、平信徒の内觀修練を指導していました。修道院内の内觀研修室を案内とともに内觀修練時の面接の實施もしていただいた。
高さ約 1米程の和紙で作られた屏風の内でした。藤原神父は面接前後に屏風の外で正坐の姿勢で日本語がよくわからない私にしても、その雰圍氣がとても嚴肅であることをしみじみと感じられました。特に平信徒の前に正坐しておじきするとは、信者の一人として此の世に生まれて初めての光景なので私が受けたおどろきと衝撃は大きかった。
午後は 電車で、大和内觀修練所を訪問しました。日本の内觀研修所の本部でもあり、内觀創始者である吉本伊信先生が内觀を始められた内觀の總本山地で、内觀創始者の精神と魂が殘ってい所である。多くの外國人達もの研修所で内觀の修練をしていたところでもある。別棟の資料室には内觀研究の資料と本が山ほど所藏されていた。
日本では、内觀が 精神醫學界および 心理學界で 内觀心理療法として活用され その效果が、立證されているし、内觀學會の活動も學術的に相當な水準に達していることが分かってきた。眞榮城輝明先生は、吉本伊信の創始から、3代めの所長で、臨床心理士として病院で24年間の心理治療の經歴とまた、大學の臨床心理學の講師(非常勤)を2年間務めた後、ここの所長に赴任してきた方であった。
修練所は純日本式の木造の新らしい建物で、2階がの修練場で多くの部屋があった。超現代的な完全自動化した施設で、食堂、化粧室、お風呂の湯かげんも自動化している。別棟では、内觀の歴史と今までの活動を紹介していただいた。私が まず、心配したのは内觀が カトリック信者としての 敎理と信仰生活に どのような違いがあるのか、また、内觀のための時間と努力をつくした效果に たいする疑問も檢討してみたかった。その結果、内觀とは混濁で複雜なこの世の現代人において自身と共に生きる必要の方法として、またカトリックの敎理とも適合するのではとの 確信をもてるようになり、2個月後に、内觀修練に參加する約束をして 歸國しました。
3. 大和内觀研修所での内觀體驗
まず、私の内觀修練の動機ですが、私は今まで何をしてきたのか?いまは 何ををしているのか?また、今から 何をすればよいのか?を 自分が何を探し求めているかである。勿論 内觀の動機においてはこれまでの私の歩んできた人生が深くかかわっているのですが、私の家庭環境は曾祖父時代から熱心なカトリック信者の家系であった。それで、私も幼兒洗禮をうけましたし、小學校3年のときに靈聖體もうけました。そのあと、母の勸めで 中學、高校も カトリック系統で、大學も神學校に入學し、卒業後、神父になるのを目的に勉学に励みました. しかし、神學校の卒業直前に思ひつかなかった突然の事故で神學校を退學させらたのです。その心の傷と私を追い出した敎會にたいする反撥で、アメリカに留学して神學の勉強も續けましたが、結局 結婚をして 今は、妻と 二人の子供を授かりました。これも 今では神さまのおかげではないかとおもひます。が、神學生時代の事と神父になれなかった當時の心の傷の治癒は必要不可欠なことであり、その心の傷の治癒ができればと思っていたところ、内観を紹介され、内觀修練に来たというのが私の動機である。
(1)内觀修練手續
ようやく 2002年 7月 7日(日) 内觀修練の爲、ソウルの仁川空港から大阪の關西空港を經由、空港から JR 線を乗り継いで、大和郡山に到着したのは 私を包め 一行 4名であった。その中の一人は. 高等學校の校長を退職後、今は 養老院を經營している方で、もう一人は 個人事業の自營者で、また 一行の日本語の通譯として隨行した金相文氏(内觀に關心が高くソウル家庭法院の調停委員の經歴)である。
大和内觀研修所に着いたときは. 眞榮城所長と、私達のことをきいて、わざわざいらした、靑山大學の石井光敎授にごあいさつをかわしました。石井敎授は法學部の敎授なのにも内觀の著書も多い有名な方でもある。
まず、修練申請書には、住所、姓名、年齡、健康状態、食事の準備の爲の參考事項と又 修練の受けることになった動機、内觀に對しての紹介者を書く欄があり、内觀に入る前に、家族、會社の同僚 親友など 自分に影響をあたえたと考える人達の紹介などの談話がありました。
(1). 修練守則
内觀の修練にたいして守もらなければならない規則があり、その具體的な内容は次の通りである。
1) 内觀中は絶對的な沈默であり、もし、知人と相面したときとか、内觀の一行とすれちがったばわいでも見ない振りをし、自身の事、即ち内觀に專念すべきである。屏風の中に入った後は外には出られない、化粧室とか お風呂を使うとき以外は許されない。萬一、それが守らねないときは、内觀を中斷して家に歸へるしかない。
2)食事は 面接者が配達してくれるので屏風の内で食べます。食事も内觀の繼續であるからです。食事の内容については、健康上の特別な事情がある場合は、事前に連絡することができる。屏風の内での姿勢は自由ではあるが、よこになることはできません。ただ、からだの不自由な方、身體的に問題のあるときは、椅子または 寢臺の使用も許されます。服裝は平常服で行動も屏風の内では自由である。一週間の内觀中 一日 數十分は簡單な作業も行なわれます、たとえば、淸掃などで、體を動かすことで、消化の促進と 筋肉を解きほぐし、疲勞 回復を謀るためである。
3) 内觀中は TV、ラジオ、新聞、雜誌、電話、手紙をかくことは絶對的に許されません。外部と遮斷して内觀に熱中させるためである。もちろん. お酒もだめです。煙草はとくに禁止ではないのですが、喫煙は喫煙室でのみ許されています。内觀中は字を書くのも許されません。最小限のメ-モは許されますが、一分一秒でも内觀に集中させるためです。
4). 次に内觀に入りますが、まず先に 自分の生活の中で最も深い影響を受けた父母から始めます。もし、父母の記憶が全ぜんないばあひは、その代りに恩惠を受けた方から始じめます。その次からは、妻、夫、子供、兄弟 親戚、恩師、部下、同僚と、自分が内觀に入り順序をきめる。
内觀の第一歩は、お母さんにしてらったこと、自分がしてあげたこと、迷惑をかけたこと、この三つの質問を、過去から現在まで思い出すことからはじめる。また思い出すことも年齡別に分け、最初は 小學校 1年から 3年まで、次は 4年から6年までと 中學校、高等學校、大學時節等にと内觀に入ります。
(2) 内觀修練中の感想
指定された屏風のなかで静坐するにはせまい空間であり、四方を屏風でかこまれているので外部とは完全に遮斷されているのは、自分を深く觀る事に專念すためだとおもひます。ただ 天井だけをみることしかできないので、私は1分もたず窮屈で がまんできないほどになりました。一週間をどうして耐へられるのかが心配で、自分を知るよりも、もし、精神病者になるのではないか?はたして期待するほどの效果があるのか、又、宗敎を持たない面接者からの影響で自分の信仰心も喪失するのではないかと はじめは いろいろな雜念と身體の苦痛と不便が增してきた。目を閉じて内觀に集中しようと努力してみた。今までは目をあけているのは、なにかを觀るためであった。すくなくとも、一日の 16時間は外觀でしていたのである。ここでは、反對に 16時間の内觀をすることになった。今までの私の判斷はおもに外觀によってであった。他人があのようなの行動をするなら 私もそのように行動をし、相對方の缺點や 短點を批判的に判断しながら、自分の行動はいつも正當化してきた。今からは 靜かに、自分の過去のした事をふりかへりみることにした。一、二日、すぎたころころからは、心が少しずつ落ち着きはじめて、なにかが見えるようになった。せまいところだと思っていた屏風の中が、今は海のように廣く、心ゆくまで水泳もできるような氣持になってきた。また、この中には、私の生涯があり、父母があり、妻があり、子供があり、今まで共に暮らしてきた人達があり、うれしいこと、喜しいこと 愛と 憎しみは勿論 平和なひと時だけでなく、不安で過ごした日々もあった。