久し振りにふるさとを訪ねたときのことである。子どものころ野球を楽しんだ広場がなつかしくて立ち寄ってみた。
「ずいぶん狭くなったなあ」原っぱの球場を見てそう思った。原っぱが狭くなったわけではなく、そう見えたのである。
それは、大人になって、からだが大きくなったからである。小学校の低学年のときから野球少年の仲間に入れてもらって、学校から帰るとランドセルを放り投げ、すぐにその原っぱに集まって野球の練習に夢中になったものである。
そこでは、中学に入ったばかりのお兄さんが大将であり、キャプテンとコーチと監督を兼ねていた。すごく威張っていて、キャッチボールのときでも手加減することなく思いきり速い直球を投げてくるかと思えば、何の予告もなしに覚えたてのカーブを投げてきたりして、低学年のぼくにはそれが捕れずに、ポロポロ落としていると、ポカリと一発やられたものである。
それでも、野球をやめようなどと考えたことはなく、毎日のように、大きな声で怒鳴られて、べそをかきかき練習を続けたのは、皆と一緒に野球をするのが楽しかったからである。高学年の子は中一の大将のカーブをなんなく捕れたのに、低学年のぼくにはなかなか捕れなかった。
ところが、なんどもなんどもくりかえしその大将とキャッチボールをしていたら、ある日、突然、捕れるようになった。
そのとき、大将が近寄ってきて、ポンとお尻を叩いてくれた。うれしかった。長い人生ではいろんな変化球がくる。それを一つひとつ捕れるようになることが、すごく大切なように思う。努力してそれが捕れるようになったとき、ポンとお尻を叩いてくれる人がいるとうれしいよね。
今でも、そのときの光景を思い出すだけで、ぼくの胸は熱くなってしまう。
だから、コーチを引き受けたとき、コーチとしてのぼくの役目は、ちょっとでもファインプレーをしたり、捕れなかったボールが捕れたときに、子どもたちのお尻をポンと叩いてやることだと考えた。一人残らず、チーム全員のお尻をポンと叩くことが、コーチとしてのぼくのささやかな夢なのである。
少年野球のコーチも三年が過ぎて、今年がいよいよ最後の年になった。他のコーチと比べて、練習に参加する時間が少ないだけでなく、ほとんど指導らしきことはしたことのないコーチである。それでも試合の時には、ベンチにいて、ファインプレーをした子を褒め、エラーをした子を慰めることがぼくの役目だと思っている。
つまり、ただ子どもたちの傍らに存在しているだけのコーチであるが、考えてみると内観の面接者として、同じことをしてきたように思う。
内観と出合って二〇年が経過した。
そもそも、内観面接者というのは、悩める人達を内観に誘い、内観者の傍らにいてひたすら内観者の内なる声に耳をすましているだけであるが、相手の悲しみを共に悲しみ、喜びを共に喜ぶことにエネルギーを注ぐ専門家なのである。
そして、そのやり方を心理学は“共感”と呼んでいる。
そんな面接者の共感に支えられて、深い内観を成し遂げた、という内観者は少なくない。
なぜならば、人間はそのことによって、悲しみを半減させ、喜びを倍加させることができるからである。
そして、何と言っても、面接者としては、内観者に手とり足とりの指導や、説教をすることよりも、「存在者」としてその傍らに存在することに意味があり、自らの内観を通して共感性を磨くことが大切なように思う。
たとえば、一度の内観でこれまでの人生を変えてしまうほどの深い内観を成し遂げた人がいたら心から喝采を送るつもりであるが、もし、途中で逃げ出してしまった人がいたら、再び内観に出合うチャンスが巡ってくることを祈っていたいし、あるいは内観と聞いただけで拒絶してしまう人に対しては、心の扉が開くのを待ち続けていよう、と思っている。