どのような数え方をしているのであろうか、心理療法の種類を示した本には、世界で生まれたその種類は一五〇だというものもあれば、二五〇であると紹介する論文もある(二〇〇八年の現在は四百)。数え方によってそれだけ大きな違いがあるというのもそれこそ大きな驚きであるが、日本の文化から生み出された心理療法についてだけは一致して森田療法と内観療法が挙げられる。
この二つが今、中国で注目されている。上海は中国の表玄関であり、経済の発展がめざましく閉鎖的な印象を持つ中国にあって、そこは十分に国際都市として機能している。その上海に中国の精神医学会をリードしている「上海精神衛生中心」(日本の大学病院と精神衛生センターを一緒にしたもの)がある。そこの王祖承教授が中心になって心理衛生会を設立し、第一回の大会とそれに先立って森田と内観のワークショップが開催された。
ワークショップ
中国では、医者の卒後教育が熱心に行われているが、個人の力で自由に研修会に参加することは、経済的にも無理がある、という。
従って、研修会の費用はすべて公費で賄われるため、参加者は制限されたものになる。
以前に行われた認知療法や精神分析のワークショップには、イギリスから講師が招かれたようであるが、昨年(一九九七)の一一月一七~二〇日に開催された森田と内観のワークショップには、日本から講師が出席した。
それぞれ二日間ずつの連続して四日間の研修会に、森田のそれは慈圭病院(岡山市)の堀井茂男医師が、内観は入門編を大阪内観研修所の榛木道晴・恵美子ご夫妻が講演し、私はその臨床応用についてを担当した。
約四○名の参加者のなかに、遠くハルピンやモンゴルなどから片道四日間、バスと電車を乗り継いで出席した、という人がいると聞けば、われわれとしては、たとえ彼国の交通事情を考慮したとしても、講義に力が入ったし、その証拠に私などはその夜の就寝は九時であった。
中国の「森田と内観」
先ず、何と言っても両者の違いは保険点数の差であろう。差と言っても、その額は聞いて失念してしまったのであるが、森田は毎日、一定額の診療報酬が保険で請求(確か、三ヵ月間)できるのに対して、内観には保険請求が未だ認められていない、という大きな差がある。
そういった大きな相違があるにもかかわらず、上海精神衛生中心には、両者の診療室が同等に備えられているのを見て、驚きでもあり、嬉しかった。但し、内観は余程のお金持ち相手に自費で受けてもらうか、あるいは治療者の善意によって実施せざるを得ないのが現状のようである。上海では、その善意の対象として、アルコール依存症があり、今もっとも積極的に内観が導入されはじめている疾患であることを、ワークショップでの参加者からの質疑を通して感じることができた。
では、なぜ上海でアルコール依存症なのか、彼地で聞いたことであるが、上海のひと月の流動人口は二百万人とも三百万人とも言われ、連日連夜の突貫工事で得る日銭がその病を生み出していることはまちがいないと思われた。
ハプニング
ワークショップの翌日は、第一回心理衛生学会の大会が開催され、われわれには一人四○分の特別講演が予定されていた。ところがである、ちょっとした行き違いで、われわれは三○分余の大遅刻をしてしまった。
堀井茂男医師、榛木美恵子女史の順で講演が進み、私の番になったとき、時間は一○分しか残されてなく、用意した原稿は諦めることにした。そして、ことのいきさつだけを述べた。
「私たちは三○分前に自室(会場まで数分とかからない特別病棟)で待機し、お迎え(連日そうしてくれた)を待っていました。開始時間になっても誰も来てくれないので、榛木先生が『どうしたんでしょう』と動揺をみせたところ、堀井先生が森田の精神で『あるがままに』と諭しました。私たちはしばらく“あるがままに”しておりましたが、相手の立場になって考えると、行動が必要だと思い、私は筆談で必死に看護婦さんに王教授を呼ぶように頼んだのです。今回は内観的にふるまったお陰で遅れながらもここに立つことができました」と。