本誌のお知らせのページには、全国各地で産声をあげた内観のサークルやフォーラム(集い)が、毎号のように紹介され、その活動はますます盛んになっていくように思われる。
「モモの会」もまた、愛知県の春日井市に誕生したサークルではあるが、しかし、内観のサークルというわけではなく、学校の保健室を預かっている養護教諭の集いである。
「教師としての自分たちの技量を磨こう」と呼びかけあった保健室の先生たちが、自主的な集いまでもって磨く技量とは、生徒の心に耳をすますことのできる、いわゆるカウンセリングマインドを身につけることだ。
そのために行ってきたことはといえば、事例をじっくり検討しあうことである。
そんなわけで、モモの会は事例研究会としてスタートした集いなのである。ちなみに「モモ」とは、あのミヒャエル・エンデの著した名作に登場する少女、モモから採用した。メンバーにとって、モモこそ理想のカウンセラーであり、彼女の精神を少しでも身につけたいという願いを込めて会の名称とあいなった。
その会が、今年、三度目の夏を迎えた。
保健室のモモ
保健室のモモは、多忙を窮めている。
この国では、すでに殆どの学校が時間泥棒たちの軍門に下っているなかで、保健室だけが最後に残された砦というか、子どもたちの駆け込み寺なのであるが、学校によっては、そこさえも機能しなくなったところがある。
とある学校では、非行生徒の溜まり場になっているという理由で、職員会議が保健室を閉鎖してしまった。当然、養護の先生も保健室にいられなくなり、自分の居場所を失って、無力感に押し潰されそうになった。
それを癒してくれたのが「モモの会」である。
保健室のモモは、自分自身の癒しのために学校の外に居場所を作ることにした。
事例研究に学んだこと
モモの会は月例会であるが、夏休みには過去二度とも特別研修が行われた。
経験してみるとわかることであるが、事例発表者になって事例との面接過程をまとめてみると、そこには否が応でも面接者(カウンセラー)自身があぶり出されてしまう。
「どうして自分は教師という仕事を選択したのか」に始まって「養護教諭としての自分は生徒や同僚からしてもらったことにはどういうことがあり、これまで何をして返してきたのか。そして、迷惑をかけてきたことには何があるだろうか」などと考えてみるだけで、事例の理解が深まってゆくのである。相手の立場から自分自身を観察してみるという、ただこの一点を身につけるだけで事態がよりよく見えてくる。
そのことに気づいたモモの会は、昨年、一泊二日の内観研修会を企画して、自分自身を見つめる機会をもった。
そして、メンバーのなかには、それを機に自主的に集中内観に取り組む人も現れた。生徒を理解するには、まず、自分自身の理解から始めなければならないことに気づいたからである。
「モモの会」と内観
「モモの会」が、生徒の心に耳をすませるための研修を目的に集まった養護教諭のグループであることは既述した。事例研究を深めてゆくうちに自己研修の必要を痛感し、内観研修の機会をもった。一泊二日の短期内観や一週間の集中内観を通して、自分のなかにあって気づかなかった部分が見えてきたとき、メンバーの視野が広がった。自己を見つめることによって、外のことがよりよく見えてきたというわけである。
そうやって自分の内と外の世界が見えてきた「モモの会」は、学校の内で起こっていることが外の世界(社会)に繋がっていることに注目するようになった。
これまで学校の内部だけで考えてきたことを他分野の専門家や一般市民との連携によって考えてゆこうというのである。今夏、「思春期の性の問題を考える―学校の内と外から―」と題する公開シンポジウムを主催して好評であったが内観マインドはそんなところにも生きている。