編者・川原隆造によれば、「今世紀の医療における大きな潮流として統合医療が注目されつつある」ようだ。そういった時代に、本書が出版されたことはタイムリーなことである。
統合医療は、前世紀に飛躍的な発展を遂げた近代西洋医学の限界が指摘されるなかで、その西洋医学を代替、相補、統合しなければという反省から生まれたことは周知のことだろう。
そこで、注目されるようになったのが、伝統医学である。今、世界の関心は東洋思想を背景にわが国で生まれた内観療法と森田療法に向けられている。とりわけ内観療法は、2002年8月に横浜で開催された第12回世界精神医学大会において講演とシンポジウムまで企画され注目を浴びたことは、内観研究の第9巻で堀井茂男が伝えている。そのときの熱気が2003年10月に第1回国際内観療法学会(第6回日本内観医学会と併催)を開催させるエネルギーになったように思われる。今回、本書の頁をめくりながらそう思った。両大会に出席した読者であれば、当日の、国内外から多彩な学者や臨床家が参集して繰り広げられた活発な論議の場面を再び味わうことができよう。あるいは仮に、出席できなかった読者にしても、時代が内観に求めているものに触れることができるはずである。
たとえば、第1章の金光寿郎は放送ディレクターとしてNHKの「心の時代」の担当者として有名であるが、自分自身の内観体験を踏まえてこう述べている。
「現在の自分の元型である小さい頃の自分の意識を掘りおこすことによって、自己中心の意識の歪みが見えてきて、懺悔とともに自然に歪みが矯正され、正しく全体が見えるようになる」(8頁)と。金光の「東洋思想史と内観」には、仕事柄、真髄を究めた人たちとの出会いを通して吸収してきたと思われる至言が随所にちりばめられている。
第2章の長山恵一と北西憲二の論考は、第6章の村瀬嘉代子とセットにして読んだ方がよいだろう。そうすることでシンポジウムの臨場感を味わうことができるからである。
第3章は中国における内観療法の導入と展開が紹介されているが、彼国の精神科医の手にかかると内観の味付けがこんなにも変わってしまうのか、と日本の読者が腰を抜かして吃驚仰天する様子が目に見えるようである。しかし、それは読んでみてのお楽しみとしよう。
第4章に登場したD.K.レイノルズは、西洋の精神療法はもとよりであるが、森田と内観にも精通した、まさに東西精神文化の邂逅を語らせるのにこれ以上の適任者はいないはずなのに、どういうわけか本書の中では読み辛い章となっているのが残念だ。今回、氏の論考は訳者を得なかったことが惜しまれてならない。日本語になっていない箇所が気になった。東西精神文化の邂逅は、著者と訳者の双方がそれ相当のエネルギーを出し合ってこそ成就するものだ、ということを反面で教えてくれている。それに比べて、第5章を担当した韓国の精神科医、白尚昌の日本語には感嘆させられた。内容も深く、読みながら引き込まれてしまったからである。本書に、巽信夫の終章は欠かせない。読者は川原の序の後、そこを先に読んで貰っても良いと思う。簡にして要を得た章なので、本書を俯瞰するのに好適であろう。(敬称略)