著者は改めて記すまでもなく、目下「やすら樹」に「内観をめぐる話」を連載中の臨床心理士で、長年つとめた病院臨床の場から、2000年の3月に大和郡山の研修所長に就任され、その節目に当たって刊行されたのが本書です。
内容は、Ⅰ心に聴く-子どもに導かれて- Ⅱ心のきずな Ⅲアルコール依存症と共に Ⅳ心のふしぎで、(他に詳細な「吉本伊信年譜」)4章にわたって収められた36の論考には、それぞれに現代の問題意識がこめられていて、極めて深い味わいがあります。
まず、巻頭の「私の心理臨床」では、「どういうわけか、私は学生の頃から子どもが好きだった」のに、教授に連れて行かれた最初の勤務先の病院で、院長から「アルコール依存症の担当も」と依頼され、「渋々、了承する」ことになってしまうのです。実にこの瞬間から著者のアルコール症者と共に歩む長くて深い内観の道が始まったわけで、人生ドラマの開幕を見るようです。
次々と読み進むうちに、アルコール臨床の場に腰を据えた上で、家族・子ども・教育などの領域に積極的に関与していく著者の姿が現れていきます。ことに中学校で「道徳」の授業に三たび取り組み、「内観的授業」を展開するなど、ただただ感嘆するほかはありません。(「家族関係のふしぎ」)
また、著者の子どもたちへの優しさを表す次のような文も見られます。「少年野球のコーチを引き受けたとき、コーチとしての私の役目は、ちょっとでもファインプレーをしたり、捕れなかったボールが捕れたとき、子どもたちのお尻をポンと叩いてやることだと考えた。一人残らずチーム全員のお尻をポンと叩くことが、コーチとしての私のささやかな夢なのである。」(『面接者』考)
そして続けて、コーチの役割として「内観の面接者と同じことをしてきた」と述べ、内観面接者は「相手の悲しみを共に悲しみ、喜びを共に喜ぶことにエネルギーを注ぐ専門家」であって、「そのやり方を心理学は『共感』と呼んでいる」と記しています。
「共感」ということは本書の随所にふれられていて、全巻を流れる主旋律と言えます。そして共感は、面接者と内観者、治療者と患者関係の中だけでなく、断酒会の場で、仲間同志の間に発生する共感もあり、その相互治癒力の効力も紹介されています。(「共感について」)
一般にアルコール症者は「自己愛人間」と言われていますが、「周囲の愛情を人一倍求める彼ら、自己愛人間は誰よりも自分自身から愛されねばならない」として、そのために、まず自分自身との対話、そして内観療法が有効であるとした「続・断酒人間考」は著者が到達した深い人間洞察の精華でありましょう。本書の後に続く『内観療法論考』(「あとがき」参照)の完成を節に期待したいと思います。