教師としての自分を見つめて

  酒井ゆり子(公立中学校教諭)


 私は中学校で国語の教師をして20年ほどになります。現在勤めている中学校に8年前赴任しました。当時、その中学校では、今、大和内観研修所の所長をされている真栄城先生がスクールカウンセラーとして勤めていらっしゃいました。クラスの不登校の生徒のことを相談したのがきっかけで自分自身もいろいろ相談に乗っていただくようになり、任期を過ぎた後も生徒のことなどで行き詰った時には相談にのっていただいたりしています。
 このような縁で、今回、多くの方の前で私の内観体験を聞いていただく機会を与えられ、ありがたく思うと同時に自分自身でも驚いています。
私が初めて「内観」を体験したのは4年前の夏です。真栄城先生が奈良に移られたのをきっかけに内観研修所に行きました。最初の「小学校低学年」を調べていたら、母の笑った顔が浮かんできて、驚きました。以前から母は怒ってばかりいた、という印象が強かったのですが、ひょっとして母に対する私の思いは、記憶違いかもしれない、という気持ちになってしまうほどでした。屏風の中で、母に作ってもらった洋服が次々と思い出され、もと住んでいた家の庭や部屋のようすなど、すっかり忘れていた場面が映像となって蘇ってきました。最初の面接から泣けてきて、うまく話せませんでしたが、だんだん慣れてきて、自分はとても小さくて何もできない情けない人間なのに、母や父、弟のなかで愛され、多くの人に大切にされ、支えられてきたんだ、という実感がもてました。
 そして、「こんな自分でもいいんだ。」という気持が湧いてきて、ありのままの自分を受け入れている自分がいました。
 そのときの集中内観はとても温かな気持ちに包まれて終わりました。
日ごろ、ほとんど夢を見ないのですが、内観1日目に、木の枝の二股に分かれているところから小さな青虫がひょっこり顔を出している夢を見て、新たな「誕生」を感じました。
また、とてもおかしい夢を見て、自分の笑い声で目を覚ましてしまいました。こんなことは初めてでした。朝の最初の面接では「昨夜はよく眠れましたか?」と訊かれるので、夢を見たときはそれについても話すことができました。特に面接者が解釈してくれるわけではないのですが、どちらの夢も内観中の自分をよく表しているな、と思いました。
 次の年の夏、何かやり残したような気がしていましたので、2度目の集中内観に行きました。そのときは屏風の中に入ってみて、自分はとても疲れていたんだ、と気がつきました。
自分の疲れにも気がつかないくらい、私の疲労度は限界を超えていたのです。
 その頃、貧血で治療中でした。診ていただいたお医者さんや看護士さんが「疲れるでしょう?」と何度も聞いて下さったのですが、自分自身はあまりピンときませんでした。
今思うと、感覚が麻痺して、疲れを感じることも出来ず、精神的には相当無理をしていたように思います。内観研修所という非日常の世界に身を置いてはじめて日常での疲れが自覚できたのでした。屏風の中に入ったとき、ほっとしたのを覚えています。
 そのときの内観では、まるで幻聴のように、「声」が聞こえてきました。以前に母が私に言った言葉が母の声ではっきり聞こえてきたのです。特に自分でもびっくりしたのは思春期の私が「産んでくれって頼んだわけじゃない!」と母に向かって放った自分の声が、はっきり聞こえてきたことでした。すっかり忘れていたことなのでとてもショックでした。これは、最初の内観では全く思い出すことはありませんでした。
 2回目の内観のあとに、職場の人たちに「変わったね。強くなったね。」とか「この頃いつも明るいね。」と言われることが多くなりました。
 確かに、以前の自分と比べてタフになったような気がしました。
たとえば、以前は校則を守らない生徒を叱ったり、問題行動があっても制止することができなかったのですが、内観後は、そういう場面でも踏ん張っている自分に驚くことがありました。自分の仕事をこなすのに気持ちが精一杯で自分からすすんで何か言ったり、したりすることもあまりなかったのですが、「こんなこともしたい。」という気持ちになったりしました。内観で自分が少し変化した、という自覚がありました。
 ところが、まるでそんな私を試すかのように、新しく受け持ったクラスにTさんという女の子が登場したのです。Tさんは1年生のときからいろいろ問題の多い生徒で、学校にもあまり来ませんでした。1学期、Tさんはある事情から私の自宅を知り、友人のAさんと深夜私の自宅を訪ねてきました。二人でタバコを吸ったり、冷蔵庫を勝手に開け、食べ物を食べたり、勝手放題でした。
 もちろん、煙草は注意しました。冷蔵庫は、彼女の家庭の状況を知っているだけに、お腹をすかしてのことだと思い、一応大目に見ておりました。
 そのときの訪問をきっかけに、彼女はその後もたびたび訪れるようになりました。2度目は、夜中に雨に濡れたからと言って、シャワーを浴び、そのまま朝まで帰りませんでした。その夜、私は殆ど一睡もせず出勤しました。3度目にきたときは、こんなふうに好き勝手に訪ねてこられても困る、と私にしたら珍しく強い口調で注意しました。
 すると、「迷惑かけてごめんなさい。頼れるのは先生だけ。好きだよ。」というメモを残して帰りました。彼女の寂しさが伝わってきて私の心は揺れました。しかしこのままでは良くないと思い、4度目に来たときは、居留守を使いました。
 すると、夜中だというのに大声で怒鳴ったり、ドアを何度も叩きました。それでも私はドアを開けませんでした。翌朝、玄関のドアを開けると煙草の吸い殻が二つ捨てられていました。そのときは、これからも夜中にいつ押し掛けてくるかと思うと、恐怖感さえ感じました。このままではご近所にも迷惑をかけるし、どうして良いのか分からず、真栄城先生に相談しました。先生は、学校での私の事情もよく理解して助言してくださいました。というのは、私はクラス担任だけでなく、相談部の責任者としての役割を引き受けていました。そこでは、不登校の生徒や別室登校の生徒達のカウンセリングやプレイセラピーを担当していました。二人は彼氏と別れたりして拠り所をなくしてくるということもあり、受け止めてあげたいと思う自分と、でも、もう一緒にいることが嫌で、心から話を聞けない自分がいました。
 「Tさんに対しては、カウンセラーとしてではなく、担任教師として毅然とした態度で、文字通り教え諭す、教育者として臨むように」というのが真栄城先生の助言でした。
この相談をしていくなかでほんとうに少しずつですが、自分自身の問題にも気づかせてもらいました。私の中には、人によく思われたいという気持ちが強く、嫌だと思うことも断われない自分がいて、どんどん二人の甘えをエスカレートさせてしまい、挙げ句の果てに、二人を恨んでしまっていました。とにかく、その助言をもらって、私の精神状態も安定していたのですが、秋の体育大会の練習中に起こった、ちょっとした事件が引き金で、私は自分の限界を知らされることになりました。簡単に事件のあらましをおはなしすればこうです。
 私の帽子をTさんがかぶっているので、「返して!」と言ったのですが、彼女はそれを無視して返さず、大人げないのですが、つかみ合いの喧嘩になってしまいました。私は、口の中を切ってしまい、Tさんの腕には私の爪跡が残りました。
  Tさんは、その後落ち着いてから、私に「いつもならこんなことでは怒らないからいいと思った。」と言っておりました。
 わが子の反抗期に直面することによって親自身が成長するように、教師も生徒の反抗に鍛えられて一人前の教師になっていくように思います。 私は、これまで生徒を指導したり、諫めたりすることを苦手にしておりました。Tさんは私の教師としての態度がどのくらい本物か試してくれたと言っても良いかもしれません。
 私は、なんとか教師らしく振る舞わなければ、という意識が強く、またこのまま受け入れてはいけないと思い、Tさんに対してかなり過剰に反応してしまったようでした。
 その後、自分の気持ちを率直にTさんに話すこともでき、お互いに納得したものと思っていました。そして、担任としてなんとか彼女を無事に卒業させることが出来た、と安堵していたのですが、気持ちに張りがなく、気分がふさいでいくのを感じるようになりました。
その頃、なんだかよくわからないけれど、「自分がもう限界だ。」という気持ちがだんだん強くなっていきました。しかし、何に限界なのか、どうしてそう思うのか、自分自身、言葉に表すことも、深く考えることもできずに、ただ、この気持ちをどうにかしなければいられない、と思ったとき浮かんだのが「内観」でした。いつ予約をとろうかな、と思っていると夢を見ました。生徒なのか、教師なのかわからない自分が学校で爆弾を爆発させている夢でした。それでこの後すぐに、予約の電話をいれました。
 今年の3月のことです。3回目の内観を体験しました。
 このときの内観は仕事の関係で3日半くらいしかとれませんでしたが、内観へ行かなければ、自分を立て直すことが出来ないほど切羽つまっていました。
 「なぜ内観をしようと思いましたか。」と聞かれても、漠然として「自分を振り返ってみたいから。」としか答えられませんでした。でも、その時Tさんとのことが思い浮かびました。そのことは気になりながら、整理しないまま来てしまったので、うまく説明することもできませんでした。
 今回は短期の内観であったため、内観に入る前に、まず、出来事を書いて整理してみるように助言されました。その結果、自分の限界感や抑鬱気分の背後にTさんとのことがわだかまっていることに気づくことが出来ました。Tさんを切り捨ててしまった自分への罪悪感。教師として向き合わなければならないのに、Tさんを甘えさせ、離れられない自分。いろいろな自分が見えてきました。
 しかし、それだけでは、自分の心が納得してくれませんでした。
短期間の内観ではありましたが、Tさんへの内観にはいる前に「母」に対して調べることにしました。多くの出来事は1回目、2回目の内観で思い出されていたので順調にすすみました。
 でも、今回、どこを開いても朝早くから家事をしている母、仕事で疲れ、布団に入っている母のように日ごろの母の姿が浮かびました。このことをどう面接者の方に伝えていけば、よいのか戸惑いました。その時の出来事を中心に以前は考えていたのですが、どの時も母が私のために働いたり、気を遣ったりしているようすが思い浮かびました。自分のためではないのに、母はそれを嫌そうにはやっていませんでした。まるで、そうすることが、あたりまえのように働いていました。以前よりもずっと母の思いを感じることができました。
 「母」が終わって、Tさんに対する内観を始めました。前よりも素直にTさんのことやTさんに対する自分を考えることができました。Tさんがつきあっていた男の人のことで相談に来た時にきちんと向き合わなかった自分が表れたり、TさんとAさんが教室を離れ、一緒に給食を食べようと言われた時ずるずる受け入れていた自分を後悔したりしました。面接で真栄城先生に「帽子はなんだったのでしょう?」と言われ「自分の気持ち。
 でも、それをあげることはできませんでした。」と答えたとき、自分の切羽詰ったそのときの気持ちが思い出されました。そして、あの喧嘩のあと、Tさんが登校するときはとても気を遣ってたことに気がつきました。もっと早くTさんと教師と生徒という枠組みを築けたら、お互いにこんなに傷だらけにならなくてもよかったのに、と思いました。自分がTさんによく思われたくて受け入れていることが、Tさんも自分も傷つける結果を生んでいました。自分がこの問題に向き合うことが怖くて、考えないようにしていたんだ、ということにも気づくことができました。母の内観をして自分の心がこの問題に向き合う強さが生まれたのだと思えました。長い間、私の中には母から見捨てられるのでは?という不安が潜在していたことにも気づくことが出来ました。
 母やTさんに対する内観を通してやっと自分の中に課題に向き合えた気がします。夏に頭で考えたことが心で感じることができたようです。そして、「内観」を通して前向きに乗り越えようという気持ちが湧いてきたように思えますし、もし「内観」をしなかったらこのまま夢のように爆弾を爆発させていたのかもしれません。
 この内観中に見た夢で内観に行くきっかけとなった夢とつながる夢があります。車で走っていると、煙が立ち込めていて迂回路に回りました。
 すると、そこに人が倒れていて、どうもその人が爆弾を爆発させたらしい、と分かります。その人を車から降りて助け起こす、という夢です。そこには面接をして下さった真栄城先生もいて、「こんなことではいかん。」と叱っています。爆弾を爆発させた人も助けた人も私だ、と思いました。自分を自分が助け起こすというところで「内観」にきてよかったなと思いました。このように夢によって内観中の自分の気持ちの状態がよくわかりました。
 「内観に行く。」と言うと、周りの人に「大変じゃない?」「つらくない?」と言われます。自分でもなぜ行きたいのかわからないでいますが、本能のようなものが、「行かなくては。」と言っている気がします。毎日、毎日の生活の中では自分自身が生活していくことが精一杯で、本当の心の奥まで振り返ってみることができません。気付かずに、または気付かないようにしていることがたくさん心の底にたまっていっている気がします。つらかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと。大丈夫と思って、何でもないように、終わったことのように考えていても、それは自分で、自覚していないだけで、心の中から消えてなくなっていません。
 でも、実際にそのことをみつめられない怖さがあります。屏風の中で母や父のことを考え、自分の情けなさに泣いていると、自分の中のそういう気持ちにも安心して素直に向き合える強さが生まれてくる気がします。内観は私にとって、心の底の気持ちを整理し、新たに出発させてくれるもの、という感じがして、なくてはならないものです。自分のしていることが「内観」になっているのかよくわかりませんし、自信もありませんが、このような体験をさせていただいていることに本当に感謝しています。
 また、私のつたない話を最後まで聞いていただきありがとうございました。


(本文は、第27回日本内観学会における体験発表の原稿を寄稿していただいたものです。酒井先生に心より感謝申し上げます。)