内観と私

  胡桃澤伸


 Aさんはベッドの上であぐらを組み、目を閉じていました。
 今から16年前の夏、インドのカルカッタの安宿、相部屋での話です。

 坐禅だと思ってしばらく見ていたのですが、Aさんは目をつぶったまま微笑み、唇をくちゃくちゃと動かすと舌先で舐めました。何かおいしいものでも食べているみたいです。何か思いを巡らし、どこか遠く深いところへ行っているみたいだけど、いったい何をしているのだろう―そう思いました。

 「お母さんのおっぱいの味を思い出したんですよ」
 その夜だったか、Aさんから内観の体験を聞き、あのとき何を味わっていたのかがわかりました。Aさんはお母さんのおっぱいの味を味わっていたのです。

 「愛知県の東春日井病院に真栄城という先生がいらっしゃいます。連絡をとってみてください。精神科医になるのなら内観を体験したほうがいい」
 私はAさんの言葉を信じ、日本に帰ると東春日井病院に電話し、集中内観を申し込みました。

 精神科医になりたくて医学部に入学した私は、大学の授業に早々に見切りをつけ、あちこちに出かけてはいろんな人に会っていました。その流れの果てにインドがあり、内観に出会ったのです。

 初めての集中内観はやり始めたら止まらず、文字通り無我夢中となりました。体験の量と深さはインド旅行に匹敵したと思います。翌年、専光坊での内観を体験した後の10年間、内観的な発想や心構えは私を支え続けてくれました。そして今年の夏、自分が再び集中内観を必要としていることに気づき、大和内観研修所に電話しました。受話器から聞こえてきたのは懐かしい真栄城先生の声でした。

 「闇」と「病み」は同じかもしれません。
 ヤミの中でヤミそのものになっている私を照らす光を内観は与えてくれます。
 集中内観で浮かび上がってきたのは、私のヤミでした。

 私の旅はまだ終わっていません。
 今も月に数日、大和内観研修所に通い、屏風の中で旅を続けています。
 インドのカルカッタの安宿で内観するAさんの姿に私が光を感じていたことに、ようやく最近気がつきました。