対人恐怖症について

 この神経症は、欧米には少なく、日本において顕著にみられるものだ、というのは専門家の一致した見解である。
 対人恐怖症とは、まさに「対人」恐怖であり、対人関係の病なのである。対人恐怖症者は、自分自身を信頼できず、自己主張が苦手である。その特徴として、殆どのひとが思春期前後に親友を持ったことがない、ということである。
 「青年期」(笠原 嘉著・中公新書)には、対人恐怖症の方が苦手とする対人状況が次のように記されている。

@まず、「半知り」の人たちが苦手である。たとえば、級友、上下級生、先生方、近所の人たち、親戚の人たちなど。親とか兄弟といった親しい人間の前では、赤面やどもりはない。
 また、それとは逆に都会の雑踏にいるひとたちや見も知らぬひとには緊張も不安も感じない。同一人物でも初対面時はまだ良いが、慣れてくるときに二度目にあうときからがいけない。恐怖を覚えるようになるのである。

A「半知り」の人たちの中でも年寄りとか赤ん坊は気にならない。また、年の離れた大人の人たちなども問題はない。だいたい似た年齢の人たちが苦手である。異性は特に苦手だが、同性でも同年齢だと緊張してしまう。

B小人数のグループにいるだけで息が詰まる。同年輩の人で数人から十数人くらいが円座になるともう駄目だ。ちょうどクラブの集まりとか修学旅行などの班がそれにあたる。意外と大集団を前に話したりするのは平気なのに。

C二人のときは良いが、三人になると不安になる。二人だけなら異性とでも話せたりするが、三人になると、同性だけでも緊張してしまう。二人はまだ社会ではないが、三人集まると社会ができる。二人でいるところにもう一人加わるだけで耐えられなくなる。
 相手が誰であるかは関係ない。その人にどう思われるかが気になってしまうのである。つまり、「三者関係」に弱い。 「三人状況」とは人間社会の原動的単位構成なのである。

D対人恐怖の人は、漫然たる雑談的関係を避ける傾向がある。特に決まった話題がない雑談では、間がもてない。「間は魔」になってしまうのだ。そのため、時に対人恐怖の人は、間をあけないようにいたずらに饒舌に振る舞うことがある。
 「おしゃべりの対人恐怖」というパラドックスに陥ってしまうことになる。間が持てるということは何らかの成長とパラレルだと言って良いだろう。患者は、病状が良くなるに連れて、治療者の前で沈黙できるようになる。沈黙の末に苦心して選んだあとに語られる言葉だけが治療の場面で意味を持つことは良く知られている。