学校・家庭・職場における内観の適用
―心理・教育臨床の立場からー

真栄城輝明(大和内観研修所)




 東洋的心理は何事も内に向けようとする。東洋人は大体にイントロヴォルト(内向的人間)だ。西洋人はエキストロヴォルト(外向的人間)だ。それで彼らの好奇心・研究心は外へ外へと向かってゆく。ひろがってゆく。内側の方は、お構いなしというくらい閑却している。

 外は広い、内は深い。             −鈴木大拙―(5)


 T. はじめに


 これまで医学モデルとしての内観に主眼が置かれ、それをテーマにしてきたのは、本学会の一つの傾向であり、大きな流れであった。

 ところが、第28回大会の準備委員会は、これまでとちがって「各分野における内観の適用」を大会テーマとして掲げてきた。内観が医学モデルを超えて大きな広がりを見せ始めたようなのだ。時代の流れに沿って内観にも変化が訪れたと言ってもよいだろう。今回のシンポジュウムは、学校・家庭・職場において内観がどのように適用されているのか、あるいは今後、どのように適用されうるか、といった内容であったように思うが、この時代にふさわしいテーマであった。

 そこで、本誌は特集を組んで当日の内容を掲載することになった。特集を組むに当たっての詳細な経緯については、シンポジュウムの座長を務めた巽信夫が述べることになっているので、そのあたりの事情は、氏の筆に任せることにして、小論は、当日のシンポジュウムで発言したものに若干の加筆と修正を加えてまとめ直したものである。

 さて、本論に入る前に、まず、当日のシンポジストに指名された筆者の立場から述べることにする。


 U. シンポジュウムにおける筆者の立場

 シンポジュウムに先立って大会準備委員長から次のような依頼文が届いた。

 「学校・家庭・職場における内観の適用についてそれぞれのお立場から発表をしていただきます。真栄城さんには、家庭のごく普通の問題(親子、夫婦、嫁姑など)について、あるいは、家庭に限らず内観の適用についてオールラウンドにお話いただいてもいいかなと考えています」(原文)という内容であった。

 シンポジュウムのタイトルには、学校・家庭・職場という3つの立場からの発言が指定されていた。そこで、筆者には家庭の問題について、しかもオールラウンドな視点から発言することが求められた。そのためには、筆者の立場を示す必要があった。サブタイトルにしてそれを示しておいたが、以下には、表題のサブタイトルについての解説からはじめよう。


 【心理・教育臨床の立場】

 筆者は臨床心理士である。一口に臨床心理士と言ってもその活動分野は、相当多岐にわたっている。筆者の心理臨床は、病院臨床が主な舞台であった。そこでは、統合失調症はもとより、入院中のさまざまな精神疾患を対象に心理療法を試みてきたが、アルコール依存症の治療スタッフに参加したことによって内観と出合うことになった。

 そして、初めの数年はアルコール依存症者本人への分散日常内観を実施していた。

 その後、個別内観療法という形態で集中内観を実施するようになったところ、家族が内観を希望するようになった。さらには、神経症、心身症と対象が広がって、不登校など子供の問題にまで内観の適用が広がっていった。そうこうしているうちに、時代は学校の場にスクールカウンセラーが派遣されるようになった。病院に勤める傍らで学校へ行ってみると、いつの間にか道徳の授業を担当することになって、子供を対象に学級内観を試みたところ、教師や保護者の中に関心を示す人が現れた。おそらく、それが教育委員会及びその関係者の耳に入ったのであろう、A県の教育センターは、教師対象の夏期講座を毎年開催しているが、その上級コースに内観を指定してくるようになった。そこでは、主催者と受講者の希望で講義だけでなく実習までも組まれようになった。

 という次第で、筆者としては病院臨床だけでなく、教育臨床においても内観の効果に一定の手ごたえを感じていた。当日のシンポジュウムでは、「心理・教育臨床」を通して経験してきたことを中心に述べた。

 ところで、話は変わるが、冒頭に引用した鈴木大拙(1870〜1966)の言葉は、「東洋的な見方」(岩波文庫)の58頁に見つけたものである。同じ頁の中で鈴木は「外向的研究心の功績は、医学の面に最も顕著に見られる。近代人の平均寿命が一般に上昇してきたのは、何といっても、医術の力である」と西洋の科学文明が生んだ医学を評価しつつ、東洋的なものへの評価も忘れていない。というのは、61頁にきて鈴木はこう述べる。

 「東洋は母性愛を理想とし、西洋は父性愛が好いという風になっている。−中略―が、ある点から見ると、母性に対する敬愛の心情は、東洋のほうがずっと優れている」と主張するのである。その主張に耳を傾けるならば、東洋の文化から生まれた内観が「母親に対する自分」をみつめることを重視したことは、よく頷けよう。

 前節の「はじめに」でも述べたことであるが、内観は今や医学の舞台だけでなく、学校・家庭・職場にまで持ち込まれ、その適用の範囲を広げている。その際に、それぞれの分野で「内観を適用する」ということは一体どのようにして可能なのか、具体例を示しつつ、内観のエッセンスについても触れてみたい。


 V. 内観の適用をめぐって

 当日のシンポジュウムにおいて、石井光(1))は「学校における内観」、竹元隆洋(6))は「家族の病理と問題行動」、芹沢幸彦(4))は「内観療法の職場における活用」と題して各分野における内観の適用が紹介された。詳細は、大会論文集と本誌に掲載された各氏の論文に譲ることになるが、以下にはそれを踏まえて筆者の経験してきたことを述べることにする。


 1.学校への適用

 「2004年度、集中内観をした青山学院大学の学生は、約30名であった」と石井は報告しているが、おそらく、夏季休暇などの学校行事のないときを選んで、しかも学校以外の場所(たとえば、内観研修所など)で各自の自由意志で内観に参加したのではないかと思われる。公立の小中高の生徒に学校の中で内観してもらうことは難しいだろう。

 確かに、かつて学校の中に内観室を作って集中内観を実施する高校教師がいたことはある。1981年10月27日のNHKテレビが放映した「無処罰の学校をめざして」という番組に取り上げられた池上吉彦がその人である。ほぼ原法通りに内観を学校の中に取り入れたことは、画期的な出来事であった。けれども、それは誰にでも出来ることではなかった。1週間もの間、他の行事を中止して生徒に内観してもらうことは、容易なことではないからである。学校の行事を中断させることなく、内観を取り入れようとすれば、石井のように集団教室内観や記録内観(宿題形式も含む)というような変法にするしかないように思われる。筆者もまたスクールカウンセラー(以下、SCと称する)として勤務していた中学校で「内観的授業」を試みたことがある。


 【内観的授業の試み】

 平成7年から始まったSC派遣事業に、筆者は平成8年から参加し、2校目の中学校に派遣されとき、道徳の授業を担当することになった。

 最初の中学校では、不登校や非行など、いわゆる問題をもった生徒に対する関わりが中心であった。ところが、2校目の中学校では、問題を持った生徒はもとよりであるが、そうでない普通の生徒との関わりも発生するようになった。ことの経緯を述べるならば、次のようである。


 <ことの経緯>

 筆者がPTAの役員をしていたときのことである。新興住宅地ということもあって、横のつながりが希薄であった。そこで、父親たちの有志が集って「オヤジの会」を立ち上げた。その会ではいつの頃からか、ゲストを招いて懇談するようになった。その日のゲストにはこの地区の教育長が招ねかれていた。私的な会合なので、会員もゲストも言いたい放題、自由に意見を交わす雰囲気が出来ていた。その席で、ゲストの教育長がSCとしての筆者に向かって口調こそ穏やかではあったが、こう言ってきたのである。

 「あなたがSCとして不登校やいじめなど、問題を抱えている子どもたちを援助していることは私の耳にも入っており、良くやってくれていると思う。だけど、学校にはその他大勢の、いわゆる普通の子どもたちもいるし、数で言えば、そっちの方が多いんだよ。教師は問題児だけでなく、普通の子達のことも考えてやっているが、あなたはSCとして、その他大勢の子どもたちに対して何をしてきましたか?あるいは、何か出来ることはありますか?」と。

 SCとしての弱点をつかれて筆者には返す言葉がなかった。衝撃は深刻であった。

 「その他大勢の普通の子にSCとして何が出来るか?」

 そのとき以来、筆者にとって大きな課題となった。その課題を背負ったまま、出勤日に担当校のI中学校に出掛けていった。すると、その日、校内では模擬授業が行なわれていた。翌週に市教委の視察が予定されていたためにそれに備えて、教師全員で模擬授業を参観してあとに、カンファレンスが行なわれることになっていた。筆者にも声がかかったので参加することにした。対象となった授業は道徳であった。筆者はSCの立場から思いつくままに意見を述べた。そのとき述べた意見が教務主任に印象が深かったらしく、SCを道徳の授業にT.Tとして活用できないか、という案を出してくれた。筆者がその案を快く引き受けたのは、例の教育長に与えられた課題を背負っていたからである。ところが、筆者には教員資格がない。そこで教務主任は教頭と一緒に知恵を絞ったらしく、T.T?という形態をとって、道徳の授業を担当することになった。

 授業の方法については後述することにして、結論を先取りして言えば、内観を取り入れることにしたのである。そして、その授業を担任が「自分探しの旅」と命名してくれた。このようにして、内観的授業は始まったわけであるが、目的にしたことを箇条的に示せば、3つである。


@学校の特徴と言えばそうなのであるが、生徒は個人単位でよりも学級単位で行動することが多い。そこで、SCとしては、生徒個人を理解する上でも先ずは「学級」を理解する必要があった。

A授業においては、集団心理療法の手法を用いて、集団内観を念頭に置きつつ、学級全体の精神衛生に寄与することをもねらいとした。

Bレポートとして提出された、いわゆる内観的記録を担任教師と共有することによって、担任の生徒理解の一助になるよう努めた。


 以上の3点を念頭に置きつつ、具体的に授業に臨んだが、SCによる授業とはどういうものになるのであろうか、正直言って、当のSC自身でさえ、当初は、見当がつかなかった。考えてばかりいても始まらないので、1年生のあるクラスを対象に、はじめと2回目は、担任の授業を見学させてもらいつつ、オブザーバーとして参加した。

 3回目と4回目になって、担任が見守る中、SCが道徳の授業を担当した。4回目には「自分探しの旅」というタイトルが担任によって命名されているが、SCも生徒もそれが大いに気に入ったので、5回目以降、全学年の全学級に拡大することになった時にも、そのテーマで続けることにした。

 授業の具体的な内容について言えば、各学年はもとより,各クラスによって話す内容は、まったく同じと言うわけには行かないが、課題は統一し、同じにした。

 その課題とは、こうである。

 「お父さんでもいいけど、お母さんに手紙を書いてみよう。何か、都合があって、お母さんに対して書き辛い人は、お祖母さんとか、お祖父さん、あるいは親戚の人とか友人でもいいです。手紙を書くに当たっては、次の三つ観点から書いてください。たとえば、お母さんに対して@してもらったこと、Aして返したこと、B迷惑をかけたことを思い出し、小学校の一年生から順になるべく具体的に調べて書いてください」と。

 思春期のおもしろさは、与えられた課題を逸脱したり、必ずしも故意や悪意でなく、課題の手順を変えたりすることである。

 「お母さんの立場に立って調べてみてください」という当方の教示に対して、「母から自分へ」と題して書いた生徒がいて、それがまたおもしろいので、次のクラスに採用してみたところ、相手の視点から自分自身をみつめており、有意義に思われた。   結果(レポートにした記録内観)を以下に示すことにする。ただし、紙数の都合があって、ここには、ごく一部を紹介するにとどめたい。


 例1. 中学3年・女子・U子

 【自分から友人のK代へ】

@K代が私を信用してくれてありがとう。真剣にいろいろ相談にのってくれてありがとう。K代はとてもやさしいから私も人の悪いところをみるよりも、良いところをみるようにしょうと心がけるようになったよ。2人で遊ぶのはとても楽しい。K代は私を楽しませてくれたの。秘密とかは、ぜったい守ってくれるから、一番信用ができる友達だと思っている。忘れ物を貸してくれたね。U子(私)は、大きい声ですぐにいろいろ言ってしまうけど、K代は私に「Uちゃん」と注意をしてくれたね。悪いところとかも指摘してくれた。おかげでいろいろ気をつけるようになったんだよ。おしゃれとか服も教えてくれた。カラオケ、好きにならなきゃ。これから困るから、練習しなくちゃと気を使って、カラオケにさそってくれたね。遊びに行く時、服貸してくれてありがとう。

A(あなたが)困った時に相談にのってあげた。お菓子を作った時、あげた。面接用の服を貸してあげたよ。勉強を教えてあげた。

B「いいよ」と言っておきながら、塾があって急に行けなくなっていいかげんでごめんね。選択家庭科のとき材料とか、たまに忘れてごめんね。借りたもの返すの遅くなってごめんね。気分やで、機嫌がいい時と悪い時の差が大きすぎてゴメンネ」

 以上が、自分から友達に宛てた手紙である。

 次は、その逆の、相手から自分への手紙を相手の身になって、自分が想像して書いたものである。


 例2. 中学3年・男子・M太

 【母親から自分へ】

 M太が生まれたばかりの時は、すぐに泣いてすごく手のかかる子だったんだよ。身体も小さく、どちらかと言えば病弱だったM太をよく病院へ連れていったことを覚えているよ。小学生になってサッカーを始めてからは病気はなくなったけど、今度はケガが多くなったね。本当に今考えてみれば手のかかる子だった。これから高校生活をやっていく上で、くれぐれもケガや病気に気をつけてね。

 次には、結果について若干の考察を加えることにする。

 目的1は、授業に参加したことですぐに達成された。

 目的2については、特別教室を用意してもらい、生徒にはクラス全員の顔が見える形態、つまり円陣に着席させたことによって、授業への意欲を刺激したらしく、個々の発言が増えた。「あいつがこんなことを考えていたとは知らなかった」とか、「自分のクラスが好きになった」という感想を寄せた生徒もいる。

 目的3は、生徒の記録内観を保護者との個人懇談に活かした担任もいた。

たとえば、中学2年生の女子は、急に母親に反抗的なり、最近では口も利かなくなった。母親は心配になって、担任に相談した。相談を受けた担任が対応に困ってSCに助言を求めてきた。なんというタイミングのよさなのか、ちょうどその日、その子のクラスで道徳の授業を担当することになっていた。全員に同じ課題を与えたことは言うまでもないが、「母親に対する三項目を調べてみよう」という課題に対してその子は真剣に取り組んでくれた。レポート用紙に記録した内容を示すと以下のようである。


 <してもらったこと>
私はお母さんに、とってもたくさんの愛を毎日貰っています。だから私はいつも元気でいられます。つらくたってお母さんの愛のおかげで、私は笑顔でのりこえられます。

 <して返したこと>
 私は毎夜お母さんに、今日あった出来事を話すよね。ムカついたコト、うれしかったコト、感動したコト、疑問に思ったコトとか色々。何でかって、私はお母さんと1秒でも長く一緒にいたいからだよ。気付いていた?

 <迷惑かけたこと>
 前に「私なんてなんで生んだの?」ってケンカした時言ったよね。本当にゴメン。お母さんの立場に立ったら、どんなにつらかったか少しわかつた。ごめんね。私アトピーがひどくなっちゃうと「なんで生まれてきたんだろう」って思っちゃうんだ。でも最近はこういう風に考えることにした。私がアトピーなのは、神様が私に与えた試練。私には乗り越えることができるから、神様がアトピーにしたんだって。だから、今のアトピーの傷や傷跡は私の誇り。運命と戦っている私の誇り。もう絶対言わないね「何で生んだの?」なんて…。

 SCが本人の了解を得たうえで、担任はその子のレポートを母親に見せることにした。これまで娘の反抗的な態度に困惑していた母親であったが、それを読んだ後、涙を浮かべ、「あの子がそんなふうに考えていたとは知りませんでした」と喜びを隠さなかった。

 わが子の心を知って、母親は落ち着きを取り戻し、その結果、親子の間に対話が復活することになった。もとより、こんなふうにすべての子がうまくいくわけではないが、内観的授業によって親子の関係が改善されたことは少なくない。実際、別のケースではあるが、子どものレポートを読んだ母親が内観研修所へ集中内観をするために出掛けたこともある。内観的授業が親子の関係の見直しをもたらしたということは、それはある意味で「家庭への適用」に繋がったとみてよいし、副産物であった。

 ところで、内観的授業の副産物は他にもある。たとえば、生徒同士の仲たがいが回復したケース、あるいは、ある教師が苦手にしていた生徒の内観レポートを読んで、愛着を感じるようになったこともある。


 2、家庭への適用
 先に内観の学校への適用について述べたが、「家庭への適用」というとき、ふつうは竹元が述べるように、「家族の病理と問題行動」が対象になるであろう。竹元はシンポジュウムにおいて「加害者の生育歴」と「被害者の生育歴」に注目して内観の適用を論じているが、それは従来、家族内観として試みられてきた方法のように思われる。本誌はその創刊号(1995)の中で、「家族と内観(7))」について特集を組んでおり、筆者(2))も心理臨床の立場から若干の考察を試みたことがあるので、ここに繰り返すことは控えよう。

 ただ、今回、竹元の発言で注目したいのは、「予防医学」として内観を適用することが提言されていることであった。今後の内観が展開していくとするならば、その視点は大切なことのように思われる。石井の学校内観や芹澤の企業内観も「予防」あるいは「精神衛生」に寄与する活動としてみることができよう。そして、筆者が内観的授業として試みた学校での方法は、不登校や問題行動を起こした生徒ではなく、教育長の言う「その他大勢の普通の子」を対象にしたと言う意味において、まさに「予防心理学」としての働きをしたのではと思われるのだが、果たしてどうだろうか。

 いずれにしても、いわゆる普通の家庭の中に内観が導入されることは、この時代にあって必要なことのように思われる。カルチャーセンターや公民館などを利用して、たとえば、ラジオ体操のように、地域の中で内観を浸透させる方法はないものだろうか。

 当日のシンポジュウムの際に、竹元の提言を聞いて連想したことである。


 W. まとめに代えてー内観のエッセンス(3)
 内観をそれぞれの分野で実践するとは言っても、集中内観を原法通りに行なうことは難しい。そうなると変法で行なうことになるが、その際、内観のエッセンスだけはおさえておかなければならないだろう。

 周知のように内観のルーツを辿るとき、身調べに行き着く。その身調べは浄土真宗の一派に伝わる行であった。「真宗入門」を著したケネス・タナカによれば、浄土真宗とは、浄土教の真のエッセンスの意味だと言う。浄土教は8世紀に日本に伝わり、それから約400年後に親鸞の教えに基づき,浄土教の一つである浄土真宗が生まれた。そして、略して日本では『真宗』,欧米では“Shin”とも呼ばれているとのこと。

 浄土真宗の入門書としてアメリカで好評を博しているというこの本の中で,筆者が一番印象深く思ったのは,「海で漂流した船乗り」の話であった。著者のケネス・タナカはその話を浄土真宗の教えの核心を伝えるために紹介しているが,筆者には心理療法としての内観の治療観,あるいは内観のエッセンスとして読めた。

 そのたとえ話とはこうである。

 「一艘の船が,ある熱帯の島から出航しました。陸を遠く離れて何時間も航海した頃,一人の船員が誤って海に落ちてしまいました。他の乗組員は誰もそのことに気づかず,船はそのまま航行してしまいました。水は冷たく,波は荒く,真っ暗闇でした。大海の真っ只中で,その男は沈まないように死に物狂い足をばたつかせます。

 やがて海に落ちる前に見た島に向かって泳ごうとするのですが,すでに方向感覚を失っており,方向が正しいかどうか確信が持てません。船乗りですから泳ぎは上手なのですが,腕も足もすぐに疲れ果てて,胸も苦しくなって喘いでいました。大海の中で迷い完全に孤独になってしまった男は,もうこれでおしまいかと思いました。絶望の中,男のエネルギーは砂時計の砂のように消耗していきました。顔を打つ海水を飲み込んで息ができなくなり,体が海の底に引きずり込まれるような気がし始めています。その時,海の深淵から声が聞こえてきたのです。『力を抜きなさい。力むのを止めなさい。そのままでいいのです。南無阿弥陀仏』その声を聞いた船乗りは,自分の力だけでむやみに泳ぐことを止めてみました。夏の昼下がりに裏庭のハンモックの上でのんびりするように,くるりと仰向けになって足を伸ばしてみました。すると,力まなくても海が自分を支え浮かせてくれることを知り,大喜びしたのでした。―中略―助かったと知り喜んだ船乗りは心から感謝しました。そして,『本当ははじめからずっと大丈夫だったのだ』ということに気がついたのです。ただそれを知らなかっただけなのです。海はまったく変わっていないのに彼の考え方が変わったので,この船乗りと海との関係も変わったのでした。海は危険で恐ろしい敵から,彼を支え守ってくれる友となったのです」と。

 内観面接に携わっていると、この船乗りのようなケースに出会うことが少なくない。

 以前に拙著で「いない いない ばぁ」を内観のエッセンスとして指摘した際に取り上げた事例があるが、ここにも掻い摘んで紹介することにしよう。

 20代の青年が内観にやってきたときの話である。母親は統合失調症と診断されて青年が幼い頃から今なお入院中であった。青年の内観は初日から暗礁に乗り上げてしまった。

 「入退院の繰り返しで母はほとんど家にいなかった。だから,お世話になったことはなかった」と抵抗するだけでなく、「死んでいればまだしも,生きてはいるがほとんど生ける屍のようで,母に抱かれた記憶もなければ,甘えた経験もない」とまで言い放ったのである。そのため,母親から始める通常のテーマとは違う別メニューでの内観が始まった。しかも,別メニューは,テーマだけではなかった。食事についても,たとえば「そばアレルギー」「生野菜は匂いで吐いてしまう」「牛乳と卵も受け付けない」などといろいろと注文が多く,別メニューが必要であった。別メニュー,つまり特別メニューがこの青年の内観のキーワードであった。

 ところが,内観4日目のふた廻り目になって,「幻聴に悩まされながら,ブツブツと独り言を呟きながら台所に立って僕の弁当を作ってくれていました」と報告して後,泣き崩れてしまった。

 3日目の内観は担任の先生に対する自分調べに入った。1年生の運動会のとき,母親は退院したばかりで運動会には来てくれなかった。父親は,早朝に出張へ出掛けてしまった。プログラムは親子の二人三脚になっていた。級友たちが母親に手を引かれて嬉しそうに入場門に集まる姿を見て,その場にいられなくなった。そして,トイレに逃げ込んだ。担任の先生が必死になって探してくれた。「ぼくにはお母さんなんかいないもん!」と泣きながら言った。すると,担任の女先生がやさしく抱きしめてくれて,母の代わりに一緒に走ってくれた。その場面を屏風の中で思い出したとき,どういうわけか,前述の弁当を作ってくれた母親の姿が同時に甦ったのである。つまり,内観中の食事も他の内観者とは違う特別メニューが出されたが,女先生もまた特別メニューとなって母親代わりを買って出たのである。それによって,現実の母に求めて得られなかった「母性」に触れることができた。そして,その「母性」は,病んではいたが実母にもあったことを内観で想起したというわけである。

 つまり、自分には母からの愛情は与えてもらえなかったと思っていた青年が、内観をしていて「自分はちゃんと母親から愛されていた」ことに気づいたのである。これはちょうど、海で漂流した男が「本当ははじめからずっと大丈夫だったのだ」と気づいたのと同じ心境に酷似しているように思われる。


 参考文献

1) 石井光:学校における内観 第28回日本内観学会大会論文集 2005,5,20 p18

2) 真栄城輝明:家族と内観をめぐってー心理臨床の立場からー 内観研究第1巻第1号 1995 p23-32

3) 真栄城輝明:心理療法としての内観 朱鷺書房 2005,3,25 p77

4)芹澤幸彦:内観療法の職場における活用 第28回日本内観学会大会論文集 2005,5,20 p20

5) 鈴木大拙:東洋的な見方. 上田閑照編 岩波文庫 2000,10,16 p58

6) 竹元隆洋:家族の病理と問題行動 第28回日本内観学会大会論文集 2005,5,20 p21

7) 巽信夫:「家族と内観」その今日までの歩みー癒しとしての立場からー 内観研究第1巻第1号 1995 p3-11


 【本文は、第28回日本内観学会大会のシンポジウムにおいて発言したものです。内観研究12巻(p27-34)の特集より抜粋して転載しました】