日中韓の文化差と内観療法の実際
―3項目についての小考察を試みつつ―


大和内観研修所 真栄城 輝明



 T、はじめに

 わが国で生まれた内観が仏教(浄土真宗)の一派に伝わる“身調べ”から発展してきたことは、つとに知られたことである。そして、仏教といえば、インドから中国や韓国を経て日本へ入ってきたことは周知のことである。つまり、三国は歴史的にも仏教という共通の文化を有してきたことになる。

 ところが、今回のシンポジウムでは、これら三国における内観3項目のとらえ方の相違をテーマにしたいと聞いている。つまり、仏教という共通項はあるにしても、三国の間には当然のことながら文化の差がみられよう。そこで、演者としては与えられたテーマについて、それぞれの文化の差を念頭に置きつつ、若干の考察を述べて、シンポジストしての責を果たしたいと思う。


 U、身調べと内観の違い

 内観の創始者である吉本伊信は、内観は身調べとどう違うのか、という問いに「私は、内観のポイントを、無常感をもつことよりも罪悪感をもつことにずらしました」(吉本伊信、内観への招待、1983、56頁)と述べている。そして、「本当の罪人と自覚するには、深い深い反省が必要です。罪人が罪人だったと悟った時、真理の目が開けるのです。本当の無常感を感じるためには、本当に罪悪を感じられるようにすることから訓練すべきだと思って、従来からの重点の置き方を変えたのであります」(同上、57頁)とその理由まで述べている。その具体的な方法として身調べにはなかった「3項目」が内観において設定されることになったようなのである。つまり、3項目こそ身調べと内観法の決定的な違いだと言ってよいだろう。


 V、文化の差を感じさせられたエピソード

@ある中国人留学生が日本に滞在中に内観を体験したことがある。内観後には、日本人との関係がうまくいくようになったと喜んでいたが、休暇を利用して短期間の里帰りをした際に、中国人との関係がうまくいかなくなったと嘆いて見せたのである。そのエピソードを当の本人から聞いたとき、演者はひょっとしたら両国の文化差によるものではないかと考えた。

A韓国から内観者を迎えたときのことである。内観者は日本語が話せないので通訳を用意して欲しいと言われて、内観者よりも若い留学中の学生を候補に挙げたら難色を示してきた。結局、内観者よりも遙かに年上の通訳が見つかって納得してくれたことがある。韓国では今でも年功序列という文化が強く残っているように思われた。聞くところによれば、年下の人は年上の人の前では煙草も吸ってはならないらしい。内観という自分の内面を語るとき、通訳者には年下では困るということであった。年長者は年下の人の前では、恥をさらせないという慣習でもあるのだろうか。


 W、内観の目的

 吉本伊信は「内観の目的は“我執”の念をなくし、“おれが、おれが”という“我”を削除するためです」(吉本伊信、内観四十年、第4版1972)という。欧米の心理学に精通している村瀬孝雄はフロイトを援用して「エスあるところに真正な良心をあらしめること」(村瀬孝雄、内観 理論と文化関連性、1996)が内観の目的だと述べている。さて、中国と韓国の専門家は何と言うだろうか、興味深いので、当日のシンポジウムで拝聴したいと思う。


 (第3回国際内観療法学会・シンポジウム テーマ「各国の内観療法の実際 −相違点と普遍性−」より)