「心理療法としての内観」
(朱鷺書房、2005,3,25発行・2800円)




 はじめに――心理療法と内観とそして私

 心理療法が今ほど世間に知られていなかった1970年代初頭のことである。当時,私は心理学科に入学したばかりの学生であったが,卒業後の仕事として「心理臨床」に就こうと考えていた。そのことを臨床心理学専攻の先輩に相談したところ「臨床に進みたいというなら,世界には心理療法の種類はどれくらいあるのか知っているのか?」と早速,口頭試問をうけるはめになった。

 その場で,思いつくままに指を折ってみた。「精神分析,催眠療法,行動療法,自律訓練法,カウンセリング……」と持てる知識を総動員して挙げてはみたが,すぐに詰まってしまった。両手どころか,片手がやっとであった。すでに大学院に在籍していたその先輩は,おそらくその種の文献にでも目を通したのであろう,「まぁ,少なくとも150種類くらいはあるらしいぞ」と言って後,次々に私にとって初めて耳にする心理療法の数々を挙げて見せた(今日では心理療法の種類はさらに400を数えるまでになったと言われている)。

 しかし,そのほとんどは西欧で生まれた心理療法であった。先輩は,国産の心理療法として森田療法を挙げてはいたが,その口からは内観療法の「な」の字も出てこなかった。臨床心理学専攻の大学院生といえば,心理療法について最新の情報に最も敏感なはずなのに知らなかったのか,あるいは,当時,大学では内観療法がまだ認知されていなかったのであろうか?

その内観であるが,創始者の吉本伊信(1916〜1988)が奈良県大和郡山に「内観道場?」を開いたのは1953年のことである。その後,「内観道場」は1957年に「内観教育研修所」と改称され,矯正教育界を重点に導入され発展しつつあった。

 それから14年が経って,1971年にはさらに「内観研修所」とその名称を変えている。

 この一連の名称の変遷理由について私は,次のように考えてみた。

 すなわち,研修所が開設された当初は,自己変革や悟りを開くためのいわゆる修行法としての内観を目指していたので,「内観道場」と呼ぶのがごく自然なことであった。その後,吉本伊信の精力的な普及活動が実を結んで,矯正教育界に内観が定着し始めると「内観道場」と呼ぶよりも「内観教育研修所」の方がふさわしい名称になったと思われる。そして,時は流れ,時代は心の時代へと進んでいく。70年代に入って精神医学や臨床心理学が内観に関心を向け始めると,これまで内観法と呼ばれてきた内観は,内観療法とも呼ばれるようになった。来所してくる内観者の顔ぶれも時代とともに多彩になっていった。精神科医や臨床心理士の体験者が増えたこともあって,臨床家が自分の担当するクライエントを紹介してくるようになったからである。そこで,研修所の名称から「教育」の文字が削除された。「教育」に限定しない「内観研修所」と改称されたことと関係あるのかどうかはさておき,マスコミなどが取り上げたこともあって内観の知名度は急速に高まっていった。

 1968年5月9日,NHK教育テレビは,「心の転機」というタイトルで内観を紹介しているが,おそらくそれがマスコミに内観が登場した最初ではないだろうか。そして,翌年の1969年8月に,今度はNHKテレビが「人間の心と体」という番組で内観を取り上げている。

 そして,その後,約9年の歳月が流れた。

 1978年10月8日,NHK教育が「瞑想の時代」を放映したのを機にその後は,民放でも取り上げるようになった。その頃,テレビで放映されたものからその一部を時代順に並べてみる。

 1979年3月11日,日本テレビの「煩悩即菩提」

 1980年6月28日,NHKの「一万巻の懺悔録」

 1981年5月10日,読売テレビ「合掌園」

 1981年9月24日,フジテレビ「リビング2」

 1981年10月27日,NHK「無処罰の学校めざして」などが相次いで放映されている。

 このようにマスコミで取り上げられたことの影響もあってか,内観者も年々急増していった。

 実際,吉本伊信の研修所には,毎週30名前後の内観者がやってきて,年間に千名を越えるほどの盛況ぶりであった。そんな状態なので,大和郡山の研修所だけでは対応しきれず,吉本は熱心な内観者でこれはと思う人には,研修所の開設を勧めていたようである。勧められて研修所を開いた人の中には,脱サラやあるいは本業を続けながら兼業として始める人など様々であった。 ところで,私が「内観」の存在を知ったのは,70年代も後半になって,確か,学会が設立される2年前のことであった。精神病院の臨床心理室に勤めて間もない頃に,当時,病院臨床の仲間が集まって,故・村上英治教授(名古屋大学)の元で定期的に研究会を開催していた。

 その研究会の場で,奈良県大和郡山にて内観を体験してきたばかりの杉本好行氏(南豊田病院)はレポーターを務めて持参の内観テープを紹介した。私はそれを聞いて衝撃を受けた。衝撃の理由は,カウンセリングでは遭遇したことのない慟哭して懺悔する声に接してのことであった。

 氏のレポートに心を動かされた私は,すぐに大和郡山の吉本伊信師を訪ねた。以来,24年の歳月が流れ,時は,2000年を迎えていた。私は,吉本伊信亡き後の内観研修所に仕事の場を移した。そのあたりのいきさつは拙著『心理臨床からみた心のふしぎ』(朱鷺書房)に述べたので,ここには繰り返さない。

 ただ,私の心理臨床の歴史はほとんどそのまま内観学会の歴史と重なる。今年の2004年5月,日本内観学会は,第27回大会(三木善彦大会長)を神戸で開催しているが,私の臨床年数はそれに2年を加えるだけである。およそ臨床歴30年という節目を目前にして,これまでの内観臨床で考えてきたことをまとめてみようと思い立った。

 本書では,これまで機会あるごとに発表してきた私自身のささやかな内観研究がベースにはなっているが,しかし単にそれらを羅列的に提示するのではなく,臨床経験を中心に据えて,できれば他の関連する文献なども参考にしながら「心理療法としての内観」について考察してみようと思う。 

 本書を書き出すにあたり,少しばかりの期待がある。学生や一般の読者がこの書を手に取ったとき,「一度は内観というものを体験してみようか」という気持ちが湧いてくるような,そして,すでに内観に精通した専門家に読んでもらったときには,「へえー内観をそういうふうに考えることもできるのか,なるほど,それならば,自分はこの視点から新たな内観研究を展開してみよう」などと研究意欲を刺激できる内容になれば,嬉しい限りである。また,精神科医や臨床心理士などいわゆる「心の専門家」はもとよりであるが,教師や看護師,各種のカウンセラーなど悩む人たちの援助を仕事にしている方々が本書を手にしたときには,「自分の担当しているケースに内観というものを紹介してみようか」という気持ちになっていただければ,私としてはこれ以上の喜びはない。

 ささやかな希望を述べたつもりであるが,欲張りすぎた感もある。私の力不足を補って読んでいただける,そんな良き読者に巡り会えることを祈って,本書を送り出したい。


 2004年7月2日

 著者